「いじめ」と「いじり」について考える。~The Brilliant Day より~

2020年2月20日 13時20分

 先日、行われた「The Brilliant Day」の取組について、あるクラスの学級通信がとても素敵だったので一部を紹介します。

まずは、担任の先生の感想です。
 毎月中旬ごろに生徒会が企画・運営している「The Brilliant Day」があります。この日は、人権や命の大切さについて重中全体で考える日です。先日の「The Brilliant Day」では、NHKで放送されている「いじめをノックアウト」の放送を見て、「いじめ」「いじり」について考えました。

 いじめは絶対にしてはならないことだと誰もがわかっているけど、普段の生活のいろいろな場面でいじめにつながりそうな「いじめの種」を案外たくさんばらまいていることに気が付いていないことがあります。「いじり」もその一つです。どこまでなら良くて、どこからかはダメという区切りをつけることが難しいし、人によっても感じ方や許容範囲が違っています。場を和ませたり、コミュニケーションが上手にとれたり、人間関係が深まったりと「いじり」が効果的でプラスに働くことも多いので、一概に「いじり」=「いじめ」につながるとも言えません。

 私自身もクラスの誰かをいじることがあります。自分では愛を込めているつもりですが、嫌な思いをさせているかもしれませんね。逆に生徒からいじられることもあります。そんな時はちょっと距離が縮まって仲良くなったように感じることが多いのですが、誰もがそうではないですよね

 給食を食べながらの放送でしたが、身近な問題なだけに、みんな真剣に見て考えていました。私も日頃の自分の言動を振り返る良い機会となりました

 続いて、生徒の感想です。
・「いじり」と「いじめ」の境目が分からないのは、同じ言葉でも相手がどのように受け取るかや、その場の空気によっても意味が異なるからだと思います。特にビデオを見ている中で、親密な仲にある人ほどその意識、責任が甘くなっているように感じました。「親しき仲にも礼儀あり」を忘れずにいれば、それを防ぐことができると思います。

・面白いだろうと思って言ったことが、知らず知らずのうちに誰かを悲しませるということがたくさん起きているんだと思います。自分もいつの間にかそうしていたかと思うと、すごく後|毎します言葉が凶器になるとはどういうことなのか、改めて知りました。

「いじり」と「いじめ」常に私たちの身の回りで起こっています。実際に教室で過ごしていてもいじられている子はたくさん見かけます。ですが、誰も注意をすることができません。いじられている本人が笑顔で対応しているからです。笑顔の下には悲しい気持ちになった友達がいることを忘れず生活していきたいです。私は「いじり」があまり好きではありません。いじめてはいないと思っていても、誰かはそれで嫌な気持ちになっていると思うからです。

 今月の「The Brilliant Day」では、生徒だけではなく先生もいろいろと考えさせられたようですね。このように、自分自身を振り返ってじっくり考えるということは、大人とか子どもとかに関係なく大事なことだと思います。